中野にある、徳川綱吉が造らせた犬屋敷跡に行ってきた
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最終更新日:2014/01/09
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Photo by @akio0911
こんにちは。中野のグルメ記事を頻繁に書いているアキオ(@akio0911)です。
中野区役所の近くに、徳川綱吉が造らせた犬屋敷跡があると聞き、見に行ってみました。
「生類憐みの令」と「徳川綱吉」
みなさま、「生類憐みの令」はご存じでしょうか?
日本の歴史の教科書に出てくるアレです。
「生類憐みの令」は、そのような名前の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶ。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には犬だけではなく、猫や鳥、魚類・貝類・虫類などの生き物、さらには人間の乳幼児にまで及んだ。ただ、綱吉が丙戌年生まれの為、特に犬が保護された(綱吉自身犬好きで、100匹の狆を飼っていたという)。
引用 : 生類憐れみの令 – Wikipedia
東京ドーム約20個分の犬屋敷に約8万頭の犬が住んでいた
当時、徳川綱吉は中野区役所を中心として、約30万坪(東京ドーム約20個分)の犬屋敷を作り、そこには約8万頭の犬が住んでいたらしいのです。
つまり当時、中野駅周辺は犬ばっかり住んでいたということになります。
江戸時代、徳川綱吉が統治する1695年から1709年の間、中野は現在の区役所を中心として、北は早稲田通りから南は大久保通りあたりまで、東はZEROから西は環七あたりまで、全て犬の住居でした。その面積は最盛期で約30万坪(東京ドーム約20個分)と言われ、その中になんと約8万頭の犬が住んでいました。 この犬の住居には、5つの大きな犬囲いがあり、それぞれの囲いには「犬小屋」「餌場」「日除け場」「子犬養育場」などが完備され、他にも、専門の医者や役人なども配備されていました。
現在は中野区役所前に犬像がある
そして、現在の中野区役所前には、当時犬屋敷があったことを伝える石像があります。
今回見に行ってきたのは、その石像です。
こんな感じ。
説明書きが書いてあります。
由来の知らない人が通りがかったら「なんじゃこりゃ?」って思うかも。
まとめ
中野区役所に足を運ぶ機会のある方は、ぜひ見てみて下さい。