セガ信者だった僕の、飯野さんに関する思い出。ブログを続けようと思ったキッカケ
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コラム・雑記
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こんにちは。アキオ(@akio0911)です。
2013年2月20日、ゲームクリエイターの飯野賢治さんが心不全で亡くなりました。
僕は学生の頃にセガが大好きなゲーマーだったこともあり、次世代ゲーム機時代の風雲児であった飯野さんのことは強く印象に残っているので、とてもショックです。
今日はそんな飯野さんについて書き綴りたいと思います。
とんでもない風雲児がセガ陣営にやってきた
僕が飯野さんを知ったのは、セガサターンマガジンの誌上だったと思います。
1996年3月27日。SCEが主催する「プレイステーション・エキスポ」で、当時プレステでの発売が予定されていた「エネミー・ゼロ」の発売日を発表しました。しかしその発売日は「2080年」。つまり「発売中止します」という意味でもありました。そしてプロジェクタに表示されていたプレステのロゴがモーフィングし、セガサターンのロゴへ変形。「エネミーゼロはセガサターンで発売します」と発表しました。
これはおまけになるが、ロゴを変形させたモーフィング、あれは最初から計画の一部としてビデオにいれてあったわけではなく、ステージの上にあったマッキントッシュから直接実行したそうだ。他のほとんどの映像がビデオにいれてあったものであったのに、これだけがマックを使って行われた理由は、マックを使えば飯野氏が直前まで(詳しくいえば2秒前まで)やるべきかやらざるべきか考える事ができたから。そして最後にその決断にきっかけを与えたのが、ステージにあがる前に楽屋裏で読んでいた「サラリーマン金太郎 5巻」だという。
当時猛烈なセガ信者だった僕は「なんかとんでもない風雲児がセガ陣営にやってきたぞ!」と思いました。また同時に、当時高校生だった僕は「こんなことをする大人がいるんだ!」と思いました。
エネミーゼロのゲーム内容もすごくて、見えない敵(!)と戦ったり、セーブ・ロード回数が制限されていたり。「いままでのゲームとは違うゲームを作る人、他の大人とは違う人」だと感じました。
ファンにゲームのチラシを配らせてくれた「D2サポーターズ」
1999年12月23日にドリームキャストでの発売を予定していた「Dの食卓2」では、「D2サポーターズ」という制度がありました。ファンが申請をすると加入できて、発売前の「Dの食卓2」のチラシを何部も郵送してもらって、それを周りの友達に配ったりできたのです。
当時は個人がインターネットで情報発信するという文化も一般的ではなかったですし、自分の好きなゲーム会社やクリエイターのことを「自らチラシを配る」という形で応援できる仕組みって当時はなかったので、「ファンを大事にする会社なんだなー」と思いました。
ゲーム好きも音楽好きも一緒に盛り上がった「D2-Party SanSun」
「Dの食卓2」の発売を記念して行われた「D2-Party SanSun」なんていうイベントもありました。1999年12月25日に東京ベイNKホールで0時から9時まで行われたオールナイトイベントでした。
参加アーティストは Toby, Kenji Eno, Andrea Parker, Hardfloor, D.J.Spooky & Arto Lindsay, Ebizoo, Mijk Van Dijk。
僕は当時こういったテクノ系イベントには参加したことがなくて、「オールナイトのテクノ系イベントに参加する人たちって、なんだか怖そう・・・」という印象を持っていました。しかし参加してみると、音楽好きもゲーム好きも一緒に踊ったり、ロビーでドリキャスのゲーム(スペースチャンネル5とか)を遊んだりして、なんだか不思議な空間でした。
「いろんな文化ジャンルの垣根を越える人。自由な人なんだ」という印象を受けました。
そうなんだよ、この人には文化ジャンルのボーダレス感があった最後の人なんだよ。
— loop99さん (@loop99) 2013年2月21日
飯野さんはブログを続けるキッカケをくれた
僕は確か2002年のはじめくらいにMovable Typeを自宅のサーバーにインストールしてブログを始めました。当時、ライブドアブログのようなブログサービスはありませんでした。日本のブログ黎明期。当時の僕はたまーにブログ記事を投稿する程度で、あまり頻繁には更新していませんでした。
しかし2002年10月に飯野さんの以下のブログ記事を読んで、「そうか、いろいろ変わるのか。ブログ続けてみよう」と思いました。
最後の理由は、自分なりに「!?」を感じているからだ。
可能性を感じている。
可能性というのは、単にblogの可能性だけではなく
自分の可能性を感じている。
自分の延長になるのか、忘却の手段になるのかわからないが
これを続けると何かが変わりそうだ。
以前、webで日記を数年続けたが、いろいろと変わった。
少なくとも、それ以上、何かが変わる気がする。
変化はよいものだ。
変化は可能性であり、変化なくては進化がない。
あと、ちょっとしたキモチよさ、とか、美学も感じている。
そこが好きなところだ。引用元 : eno blog: my first blog
たぶん当時この記事を読まなかったら、ブログを続けることもなく、ウェブ業界に転職したり本を書いたりすることもなかったんだろうなと思います。ブログで僕の人生はイロイロと変わりました。
飯野さん、当時のあなたの記事を読んでブログを続けてみたら、ほんとにいろいろと変わりましたよ!
iPhoneゲーム「newtonica」をリリース。でもなんだか違う・・・
2008年8月、飯野さんと西健一さんが共同開発したiPhoneゲーム「newtonica」がリリースされました。
newtonica
カテゴリ: ゲーム
価格: ¥450
「おお、飯野さん、今度はiPhoneゲームを作ったのか!」とダウンロードして遊んでみましたが、正直、「飯野さん、違うよ、遊びたいゲームはこれじゃない」という感が強かったのを覚えています。
「やっとやること決めたよ」
2012年12月、飯野さんの以下のツイートを見ました。
@sumihiro 了解。やっとやること決めたよ。(-:
— 飯野賢治 Kenji Enoさん (@kenjieno) 2012年12月2日
「ついにまた何かやらかしてくれるのか!?」と、ワクワクしたのを覚えています。
しかし、彼がやっと決めた「やること」をもう見ることはできないのです。