村上隆「芸術起業論」

公開日: : 最終更新日:2013/11/08 書評

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芸術起業論

芸術起業論

村上隆については「オタクネタで変なフィギュアを作って高値で売れた人」くらいの認識しかなかったのですが、知人から「嫌われやすいタイプの人ではあるけれど、売り込み方については学ぶ点が大いにある。なので芸術起業論は是非読んでみて欲しい」と薦められ、購入しました。

アート関係は「ピカソの絵はいいらしい」程度の、本当に何も知らない状態で読んだわけですが、アートの世界にどういう状況があるのか、どういう原理で動いているのかを村上隆の視点からではあるものの、垣間見ることができて、非常に衝撃を受けました。

この本を読んで思ったのは、頓知・さんのセカイカメラは、やはり売り込み方が素晴らしかったのではないか?ということです。こういう事を言ったらもしかしたら怒られてしまうかもしれないけども、セカイカメラは井口さんの作品であり、ユーザーが投稿したエアタグは井口さんの作品の一部となってしまう。姉ヶ崎タグ、そしてそれを取り巻く状況全体が井口さんの作品である。

Webサービスを作るにせよ、拡張現実を活用して何かを作るにせよ、技術や認識精度などは良いに超したことはないけれど、文脈を作るという行為込みで提案していかなければ、価値は出ないのかもしれません。

Twitterは140字で文字を投稿できるだけのシステムです。負荷分散などは抜きにして、機能自体は、Webエンジニアから見れば非常に簡単な部類のシステムであるはずです。しかし、これだけ流行するサービスとなった。しかし、Twitter的なコミュニケーションは、携帯メールという形式で日本人にもあった気がするのです。

ブログだって、日本にはWeb日記というモノが以前からありました。

しかし、先に作っただけでは世界で評価されないのかもしれません。モノと共に、何故そのモノが必要なのか?どういう文脈の中で、そのモノが登場してきたのか?何故、価値があるのか?

価値を作り出すためには、そういった点も考慮していかなければならないのかもしれません。

それにしてもアートというのはサッパリ分からないですね。

目次

第1章 芸術で起業するということ(芸術には、世界基準の戦略が必要である

なぜ私の作品は一億円で売れたか ほか)

第2章 芸術には開国が必要である(芸術家は、技術より発想に力を注ぐべき

世界で評価されない作品は、意味がない ほか)

第3章 芸術の価値を生みだす訓練(六八〇〇万円の源は「門前払い」だった

評価されていない作品ほど大化けする ほか)

第4章 才能を限界まで引きだす方法(作品が歴史に残るかどうかが問題である

徹夜なんて、努力のうちに入りません ほか)

以下、気になった部分を引用。

「作品の価値は、もの自体だけでは決まらない」からでしょう。

価値や評価は、作品を作る人と見る人との「心の振幅」の取引が成立すればちゃんと上向いてゆくのです。

一作品一億円の価値を理解するには、欧米と日本の芸術の差を知っておく必要があります。

欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な「色がきれい・・・」的な感動は求められていません。

知的な「しかけ」や「ゲーム」を楽しむというのが、芸術に対する基本的な姿勢なのです。

欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して世界芸術史での文脈を作ること」です。僕の作品に高値がつけられたのは、ぼくがこれまで作り上げた美術史における文脈が、アメリカ・ヨーロッパで浸透してきた証なのです。

漫画やアニメは幼稚なものですが、世界における日本文化の優位性は、今はそこにあります。

だから今のうちに日本の漫画産業やアニメ産業に競争力がある理由を論理的に徹底的に構築してゆかなければならないのです。

あるアニメ雑誌の編集長は、

「アニメに批評はいらない。視聴者の夢を壊しちゃう」

と言いますが、正当な権威や評価が生まれないままではいつかアメリカのルールに絡め捕られてしまうでしょう。

日本で力を持っている唯一の評価軸は、売りあげの数値とマーケティングです。

それが絶対という先入観はアメリカに敗戦した日本が抱えたトラウマに由来すると言えるかもしれません。

目に見えない強迫観念を最も有効に利用してきたのが日本の広告代理店であり、ある意味では、日本の広告は戦後の日本の権威消失に寄与した本尊となっています。

日本の戦後の文化は「国家」の中心の基盤が抜き取られているところがあります。

明治維新には、国家という基盤があったからこそ日本画も洋画も生まれたのだろうし、芸術は歪みながらも前進できた時期がありました。

戦後の日本は国家の基盤自体を損失したために、戦争をするしないも含めて「国家」が考えると言うことを、うまくできませんでした。

その状況こそが、実は日本の平和のなりたちであり実態でもあると思うんです。

「国家」を取り上げたらふぬけた世界観が蔓延したという実例が日本で、そういう世界の芸術はアニメや漫画という卑近なところに出現することになるのです。

つまり日本人の敗戦後の「基盤を抜き取られた世界観」は、今後世界で共感を受ける文化としてひろがるのではないでしょうか。まさにこちらの芸術理論の構築も待たれるところなのです。

人種、環境に由来する同じに見える「人」という種族の、どうしようもない理解できうる限界点。それをあたかも突破可能に見える「マネー」という共有言語的なるコミュニケーションツール。

つまり「マネー」の理解でき得ぬ「壁」は、芸術内のドメスティックな問題よりも遙かに本質的で、解決不可能状態なる「人」の業であり、その部分との接触点の検索なしでは現代の芸術たり得ないという道筋を発見してしまったのです。

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